大学院の教育的役割
よくネットで大学院留学体験記を読んでいると、米英の大学院は事前アサインメントの量がやはり膨大だなあと感じる(勿論分野にもよるが、私のような社会科学系の場合)。1週間で1000pとか、2000pとか。論文1本20pとして、50~100本ぐらいか。これを読もうとやはりスキミングの能力は相当鍛えないといけない。いや〜すごい。翻ってスウェーデンの私の在籍している大学院ではそこまでの分量は求められない。一番多かった時は確かに中3日で論文5~7本や、精読のアサインメントで10日間で本3冊とかあるにはあったが、どちらかというと例外的。しっかり数えていないが、昨年進学から4ヶ月が経過した年末時点のブログで104本・冊と書いてあるので、1週間にならすと平均的に300pぐらいか。その代わりかなりしっかり読み込むことが求められる。
違いは何だろうと考えると、大学院の教育方針のようなものに行き当たる。
大学によっても違うのだろうと思うが、少なくとも私が在籍している大学院は
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・ついてこれる人を伸ばすより、皆が一定レベルに到達するよう教育する
・落ちこぼれさせない
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に重点を置いているように感じる。というのも、この方針を事前課題の分量だけでなく、色々なことに通底して感じるからだ。具体的には以下の3点。
1)授業設計
基本的に必修が多いのだが、授業のモジュールは知識インプット(授業、だが基本的には自分で読んで学習)⇒学習内容のアウトプットとフィードバック⇒最終アウトプット、のサイクルで成り立っている。最終的な結果にたどり着く前に、途中経過としてグループディスカッションなどの機会が設けてあり、段階的に知識を定着させる仕組み。特にピア・レビュー、ピア・ラーニングの機会が多い。これはグループディスカッションで議論を通じてお互いの理解を補強しあったり、クラスメイトのエッセイに建設的批評を加える、というもの。特に後者は査読の練習でもあり、客観的に自分を振り返るきっかけにもなるので、まじめにやればかなり効果が高い。
逆に先生方の目線からすると、意外にも講義自体の負担はそこまで大きくないのではないか。教える授業回数が多いわけではない(完全座学の聞くだけ講義は1モジュール3~4回ぐらい)し、スライドも多くない。グループディスカッションは事前に論点を提示するが、先生はあくまでガイド。
先生の個別指導を受けられる機会では、事前に構成メモを提出し、それに基づいて面談がある。大体1人1回30分程度なのだが、修論でもない単なるエッセイなのに、こんな超有名先生のお手を煩わせて良いのか…?となるが、逆に先生もそこまでのコミット義務はないので、その時間だけ使えばよく、そこまで負担は大きくないと想像。ちなみにドイツやアメリカの大学院に通う人から、超有名な先生は研究に時間を割いているので修士院生なんぞ殆ど興味関心がない人も多い、という話も聞いた。当大学にも研究で忙しい先生はいるが、そういう雰囲気はあまりない(個別相談やフィードバックの機会でどこまで実のあるコメントを引き出せるかは勿論生徒によるが。)
2)フィードバックと再提出の機会
アサインメントは色々なパターンがあるが、最終アサインメントはエッセイ執筆が多く、この場合事前に採点基準が公表される。そして成績としてグレードだけでなく先生からフィードバック(FB)がもらえる。フィードバックの分量は場合によって違うが、重めのエッセイであるほど丁寧。だが驚いたのが、生徒がFail(不合格)になったときのFBが更に丁寧だったことだ。
私は幸か不幸かFailがついたことがないのだが、先日Failが付いたクラスメイトから、再提出にあたり先生のFBに応えているか確認の相談にのって欲しい、と言われた。そう、まず生徒は失敗する権利がある。つまりFailしても再起する機会がある。単位を落としたら自動的に来年ということにはならない。そしてFailの場合、先生から、採点基準に照らしてどこはクリアしていて、どこが足りないのか、何故Failという判定になったのか、という理由書が渡される。この理由書を踏まえて書き直し、再提出するという仕組み。
そういうわけで私はこの判定理由書をクラスメイト経由で初めて見たのだが、A4で1枚半にわたり懇切丁寧に理由と改善すべき点が解説されており、先生が何が足りないと考えたのか、透明性が高い。それだけでなく、アカデミックハラスメントにならないよう相当気を遣っていることが伝わってくる書きぶりであった。先生の労力に感服。Failが多いと先生の負担はおそらく膨大。ちなみに一度Failがついても、その後クリアすればその成績が最終成績になる。
3)ペース配分
ペース配分も計算されている。授業開始前にシラバスを読むと「こんなのできるようになるのか…?」と思うが、段階的にこなしているうちに、意外や意外、たどり着いている。エッセイの分量も、最初のモジュールでは2000ワードからはじめ、3000、5000、8000と段階的に増え、種類も定性、定量、先行研究のシステマチックレビュー、論文への応答論文、など書き分けてきた(そしてその都度フィードバックを受けてきた)ので、私自身エッセイを書いたことがなかった当初は2000ワードを書くのにウンウン唸っていたが、この1年強でスピ―ドも質も向上したと思うし、何より相場観がついた。
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そんなわけで、スウェーデンでは「Lagom(ラーゴム)」といって、ほどほど、ちょうどいい塩梅、みたいな表現があるのだが、まさにラーゴムなペースでしっかりと教育をし、トップ研究者候補をバンバン輩出するわけではないけれど、専門知識を持って実社会で活躍できる人材を安定的に育成する、という社会的役割を担っているように思う。
これは私のいる研究科の話だけれど、ラーゴム感は割と共通する傾向でもあるようだ。そんなわけで生徒もあまりガツガツしたり、人を蹴落としていく、みたいなタイプは少ない感じがする。ただ伸びたい人は勿論どんどん自分で伸びれば良いし、そのための門は開かれている。先生方も質問をすれば大体は答えてくれる。スウェーデン人は外の人にはとっつきにくいけれど、一度懐に入ると親身になってくれる、と言われたが、確かにそんな雰囲気を感じる。
というわけで、ヒリヒリした緊張感を得たい人、それによって自分の限界を突破したい人、あるいは周りがラーゴムだと自分はだらけてしまう人にはあまり向かないかもしれないが、ノンネイティブにはとても学びやすい環境。
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