年上の心得

修論前最後のモジュールは調査手法論で、PhDと共同開講となっている。学外から来たPhDの人が修士で手法論を学んでいるとは限らないからだ。で、実際2名が参加しているのだが、このうちの1人のふるまいを見ていて、年齢なり経験なりが上の人のふるまいについて考えさせられている。

今日は課題のプレゼンだったのだが、修士の子(つまり私のクラスメイト)がプレゼンした際に、PhDの1人が質問をした。

「〇〇の定義は?」
「何故××にしたのか?私であれば△△にする」

質問は的を射ているものもあった一方、アサインメントの要件からして重箱の隅をつついてると思う観点が多かったし、何より質問を装った自説の開陳が長々とあり、若干辟易とした。あなたのアサインメントじゃないんだぞ、彼らは彼らの考えがある、と。が、トドメがすごかった。冷えた教室の空気を察したのだろう、

「ちょっとPhD的な質問かもしれなかったけれど…(Sorry if my questions were too much like PhD level...)」

クラスメイトの表情がみるみるうちに硬くなり、短く回答した後、さすがに先生がフォローに入った。で、帰り道、クラスメイトは「なんなのあれ」という話に。いや~、PhDの人が修士にマウント取る必要なんて微塵もなく、単に建設的にフィードバックすればいいのに、残念な人だ。良い反面教師にしよう、と思っていたら、話の流れで棚からぼたもち的に私の評価があがってしまった。

「tommieは実務経験もあって私たちより知識も豊富だけど、偉ぶってないし、いつも全体を深める質問をする」

比べるのは可哀想な気もするが、当たり前である。私は同じ修士課程で学んでいるので立場は同じで、別に競争する必要がない。自分の方が経験や知識があると誇示する必要も特にない。色んな理由で考え方が違うケースが多いことはわかっているので、疑問があれば「何故こう考えるのか?」と彼らに聞き、より深く理解するために答えを引き出そうとするのであって、別に論破する気も必要性もない。彼らからしたら初歩的な質問の場合もあるが、それはそれでいい。バックグラウンドが違うのだから、こういうことが伝わらない可能性がある、ということが明らかになるだけでも意味がある。先生への質問も同じ。話し手からもっと多くの内容を引き出せるような質問をすることを常に心掛けているし、それこそがインタラクティブな授業の醍醐味だと思っているし、話し手が「それは考えたことがなかった」と言う質問が出来た際には喜びを感じる。

これは特に深く意識したわけではなかったけれど、まったく違う年代で改めて修士に入るにあたって、意外と重要なマインドセットだったかもな、とPhDの人のふるまいをみて改めて思った。

秘訣を聞かれたので、

・質問する際は基本的にOpen-ended questionにする
・相手の主題を深められる観点を意識して質問する
・自説は最低限に留め、相手の考えを聞き理解することに注力する

と答えた。まあたった2~3歳ぐらい年上の状態だと、自分の価値を提示するのに自己防衛が勝ってしまうのかもしれない。一回り以上年上の身としては、そのあたりは割とどうでもよく、むしろ彼らがどう考えているのかの方が気になる。考えが違ったところで別に自分の価値が毀損するわけではない。でもその余裕に到達できるのも、ある程度歳をくってから修士に戻ったが故かな、とも思う。年上は年上の余裕を発揮して授業に臨みたいものだ。




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