卒業後の進路トークとZ世代クラスメイト達の世界観
修士2年目になると、皆の関心事は次の進路。日本のように時期がきたら一斉に就活をして(あるいは研究志望の人は大学院の入試を受けて)、という環境ではないので、必然的に最近クラスメイトと集まったときはもっぱら進路の話題になる。一括りにしてしまえばZ世代なのだけれど、バックグラウンドによって様相は多種多様だなあと思う。
最も悲観的なのがアメリカ人のクラスメイト。彼女は米国で2年間働いたけど、成功への絶え間ないプレッシャーにburn outして休憩も兼ねてスウェーデンに来たと言っていた。がむしゃらに働いてもいつ首を切られるかわからなくて、そしてそうしてまで働いても市内のそれなりの場所に家を買うのも無理な社会って、と(注:彼女はDC出身)。来年に迫った大統領選も眺めながら、彼女はものすごく社会を斜めに見ている、というか基本諦めている。彼女は人種的マイノリティなのでなおさらなのだろうとは思う。今アメリカに戻る気持ちにはなれないけれど、かといってスウェーデンでもない。属する社会を見つけきれずにもがいている。
それに対して特にドイツやスウェーデンの子たちは、自分達が母国で良い仕事に就き社会を変えていくことをあまり疑っていない。アメリカ人のクラスメイトはそういう無邪気さに対してものすごくシニカルに見ていて、たまに授業でもヒヤッとするコメントをする。自分事としての問題意識を向ける対象やベースとしての世界観がだいぶ違う、というのは傍で聞いていても感じる。
その子たちもプレッシャーはないわけではない。特にドイツのクラスメイト達は大学を卒業するまでに強烈なプレッシャーを潜り抜けてきている。ただ、そこを越えるとまだ一旦は自己実現を優先できるようなメンタリティ。自分が就職できない、あるいは働いても安定した暮らしを得られず社会の中で取り残されていくリスクよりも、気候変動によって近い将来生活環境が激変することによる影響の方をリアリティのあるリスクとして懸念している。自然災害の増加、食料危機、エネルギー危機、それによって産業構造がガラッと変わって、自分自身が生きる環境が成り立たなくなることに対する恐怖心。だからこそ現状を優先する「逃げ切り世代」に厳しい目を向けているし、構造的に変化しなければ、自分はそういう仕事をしたい、と思っている。
とはいえドイツにしても足元でこれまでは普通の暮らしをおくれていたのに目の前の暮らしがどんどん難しくなっている層が沢山いるわけで、大学院に来るような人の限られた価値観で社会全体を測っちゃいけないよ、というのは思う(&たまに言う)けれど。このあたりは私がこれまでに仕事を通じて出会った同世代あるいは少し上のドイツ人達とも少し傾向が違うところがあって、色々要素はあるだろうけれど、やっぱり世代なのかな、と思う。グレタ・トゥーンベリ世代と重なっていて(グレタさんは2000年生まれなので彼/彼女たちよりも数歳下だけれど、学生時代は重なっている)、Fridays for Futureの年配組としてずっと考えてきたのだと思う。(彼/彼女たちが同世代の環境活動家をどう見ているかというのも興味深いのでいずれ紹介したい→【追記】書きました)
対比で興味深いのがイタリアのクラスメイトと、トルコ系オランダ人のクラスメイト。
最も悲観的なのがアメリカ人のクラスメイト。彼女は米国で2年間働いたけど、成功への絶え間ないプレッシャーにburn outして休憩も兼ねてスウェーデンに来たと言っていた。がむしゃらに働いてもいつ首を切られるかわからなくて、そしてそうしてまで働いても市内のそれなりの場所に家を買うのも無理な社会って、と(注:彼女はDC出身)。来年に迫った大統領選も眺めながら、彼女はものすごく社会を斜めに見ている、というか基本諦めている。彼女は人種的マイノリティなのでなおさらなのだろうとは思う。今アメリカに戻る気持ちにはなれないけれど、かといってスウェーデンでもない。属する社会を見つけきれずにもがいている。
それに対して特にドイツやスウェーデンの子たちは、自分達が母国で良い仕事に就き社会を変えていくことをあまり疑っていない。アメリカ人のクラスメイトはそういう無邪気さに対してものすごくシニカルに見ていて、たまに授業でもヒヤッとするコメントをする。自分事としての問題意識を向ける対象やベースとしての世界観がだいぶ違う、というのは傍で聞いていても感じる。
その子たちもプレッシャーはないわけではない。特にドイツのクラスメイト達は大学を卒業するまでに強烈なプレッシャーを潜り抜けてきている。ただ、そこを越えるとまだ一旦は自己実現を優先できるようなメンタリティ。自分が就職できない、あるいは働いても安定した暮らしを得られず社会の中で取り残されていくリスクよりも、気候変動によって近い将来生活環境が激変することによる影響の方をリアリティのあるリスクとして懸念している。自然災害の増加、食料危機、エネルギー危機、それによって産業構造がガラッと変わって、自分自身が生きる環境が成り立たなくなることに対する恐怖心。だからこそ現状を優先する「逃げ切り世代」に厳しい目を向けているし、構造的に変化しなければ、自分はそういう仕事をしたい、と思っている。
とはいえドイツにしても足元でこれまでは普通の暮らしをおくれていたのに目の前の暮らしがどんどん難しくなっている層が沢山いるわけで、大学院に来るような人の限られた価値観で社会全体を測っちゃいけないよ、というのは思う(&たまに言う)けれど。このあたりは私がこれまでに仕事を通じて出会った同世代あるいは少し上のドイツ人達とも少し傾向が違うところがあって、色々要素はあるだろうけれど、やっぱり世代なのかな、と思う。グレタ・トゥーンベリ世代と重なっていて(グレタさんは2000年生まれなので彼/彼女たちよりも数歳下だけれど、学生時代は重なっている)、Fridays for Futureの年配組としてずっと考えてきたのだと思う。(彼/彼女たちが同世代の環境活動家をどう見ているかというのも興味深いのでいずれ紹介したい→【追記】書きました)
対比で興味深いのがイタリアのクラスメイトと、トルコ系オランダ人のクラスメイト。
イタリア人クラスメイトもまたアメリカ人クラスメイト同様母国に期待してないが、自分の未来を預ける先?あるいは逃げ場?としてEUに対する期待がある。就職先もEU関連が良いという。産まれた時からEUがあり、教育なんかも恩恵を受けてきたのも影響しているのだろうと想像している。とはいえアイデンティティとしてはやはりEUというよりイタリア人だそう。ご両親はイタリアの南北それぞれの出身で、だからこそ国内の地域差などにも色々と思うところがあるらしく、愛着と諦念と、EUへすがる気持ちと、葛藤するアンビバレントな思いが伝わってくる。
トルコ系オランダ人のクラスメイトは、移民二世としてオランダで教育の機会を享受し、自分のようなバックグラウンドの人間を議員に選んでくれるオランダにものすごく感謝しており、そういう社会を維持するためにも地元(オランダ)に戻るという。立ち振る舞いも思考も基本的にいわゆる西欧の人、という感じだけれど、同時にトルコのアイデンティティも大切にしていて、先般の地震の際は現地入りし、家でも食事はトルコ料理だそう。いわゆる社会統合のお手本のような人材。ただ、だからこそ昨今のポピュリズムと移民排斥のナラティブ、それから現実に存在する様々な問題は人一倍気にしている。まだ20代前半だけれど地元議員として色んな人に会ってきたのだろう、誰もが彼のように縁を掴めるわけではないこともよく知っていて(移民一世のご両親もトルコに戻っている)、だから政治を続けるか起業するか、アプローチは模索中だそうだ。それでも自分がどんなアプローチを取るかに関わらず、食べていけるし社会に自分の居場所はあるということは疑っておらず、社会、あるいは自分自身に対する信頼がすごいなと思う。彼のこの信頼がどこから来るのかと想像を巡らせるに、やはり政治家として選挙で付託を受けている、というのは大きいのだろうと思う。彼のことを支持してくれる(あるいは明示的に反対する)人の顔が具体的に見え、それは同時に彼に帰属意識をもたらしているのではないか。
※最後の二文を9/21追記しました。
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