学生のChatGPTを始めとするAIの利用をどう考えるか(スウェーデンの私の所属している研究科の場合)
今日はChatGPT、あるいはAIと学業について。
日本では4月から新学期が始まり、と同時に大学や先生方がAIの利用をどう扱うか、ルールや見解を示されている。全体的な指針を示した大学、ゼミにおいては試験後に面談を実施して本人の理解度を確認する機会を設ける先生等、過渡期だけに各大学や先生方の試行錯誤が伺える。
さてスウェーデンの私の通う大学(修士)ではどうか?
結論から言うと、
明文化されたルールは今のところ何もない。
元々剽窃のチェックは外部提携サービスを通じて実施しており、それ以上のガイダンスは今のところない。ChatGPTがこれだけ話題になって以降に提出〆切があったエッセイもあるが、特段の指示はなく、生徒個人の裁量に任せられている。もっとも、それは院生だからで、学部では行われている可能性もある。私の所属する専攻と、大学のホームページを見る限りの情報だ。
実際、とある社会科学の先生は授業中にChatGPTの使用経験を問い、「まだ使ってない人はどんどん使いなさい」「間違った答えも多いので、何が間違いが指摘できるようになることは授業のゴールとも一致する」とのことだった。
以前〆切に対する価値観の違いについてブログを書いたが、この点においても日本との違いを感じる。それは1つは価値観の違いであるし、もう1つは大学のシステムと、教員と生徒の関係による違いなのではないかと思う。
価値観の違い
1つは倫理観は誰が決めるのか、という問題に対する価値観。
研究倫理を遵守することは学生たりとも例外ではなく、剽窃は論外として、倫理観を持ち、その倫理観に基づいて適切に行動することも求められているが、先生方は良くも悪くも一人の大人としての生徒の自主性を尊重している。最低限の倫理は別として、個別具体的な項目は示されていない。そして現段階ではChatGPT(や他のAIを活用したサービス)の利用自体をもって研究倫理違反とするまでは至っていない(今後はわからないが)。
4月23日付のNew York Timesに掲載された"It's not the End of Work. It's the End of Boring Work."というコーネル大の歴史学の先生によるゲストエッセイで、実証研究に必要なプログラミング等の作業をChatGPTに作業させることで、人間はむしろ機械にはできない結果の理解や思考に時間を割くことができる、研究の時間創出につながる、と指摘している。割と性善説に基づいた寄稿だと思うが、私が今教わっている先生方も同じような思考のように思う。
日本だと採点の公平性をどう考えるのか、という点も大きな問題になると思う。
それに関しては、課題の採点基準(例えば先行研究を踏まえて論理を展開できているか、論理が一貫しているか等)は事前に示されており、これに合致していれば点を得られるし、合致していなければ得られない、というシンプルなルールがあるのみだ。〆切を守らなかったところで減点がない理由と同様、きちんと思考し、また論文を書ける能力を養成するために大学はあるのであり、必要以上にAIを活用することで能力形成の機会を一部スキップするのであれば、各学生は本来身に付けられた能力を得られないので、採点に関わらず本人が充分デメリットを被っている、という割り切りを感じる。(採点は相対評価ではなく絶対評価)
大学のシステムによる違い
もっとも、大学の規模感や授業形態は前提条件として考慮する必要がある。私が所属している大学では、学部を含めて日本のように大教室で数百人が受講するという形態は極めて稀。小規模~中規模で授業は基本的に双方向であり、成績評価は授業への貢献+課題(筆記試験なりエッセイなり)で行われるため、課題一辺倒でない。課題のレベルがあまりにも授業での態度と乖離していれば先生はおそらく気付ける環境にある。
課題も、単純に知識を問うような課題はない(そういうタイプのものは試験会場でセーフブラウザを用いたコンピューター試験が実施される)。1つのテーマに対して論理的に論述するような課題に対して、今のところAIのレベルはまだ丸ごと頼れるようなレベルではないので(今後はわからないが)、論理展開や引用文献のセレクションと、剽窃のチェックソフトの結果を見れば、重大な研究倫理違反については発見できる、という先生方の自信もあるのではと思う。
あとは、少なくとも私の観測範囲では、学生が日本ほど忙しくない、従って充分に課題に取り組める状況下にある。取っている授業が多すぎて課題が集中したのであれば、幾つかの課題の〆切は第二次〆切に移せば良いし、学業の傍らアルバイトをしている人は多いが、そもそもEU圏の学生は学費が無料なこともあり、金銭的なプレッシャーは日本より少なさそうに見える。このあたりのプレッシャーの違いは意外と大きそうだ。
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それにしても次々と新たなサービスが出てくるので本当にすごい時代になったものだと思う。上手に使いこなすことは確かに研究時間の創出につながるだろうけれど、こういう環境が当然になるのも大変。アウトプットのスピードがますます求められるようになり、データセットを単純に解析した実証研究の学問的な貢献が低く見積もられたりするようになるのだろうか。
未だにノートに鉛筆で論文の骨子を手書きする方が頭に入る私にとっては、根本的にOSを入れ替えないといけないような気持ち…。
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