修士論文の「スウェーデン式」ディフェンス

しばらくblogに触れないうちに修士論文を書き上げ、合格し、6月上旬に無事2年間のプログラムを修了。なんだか3月以降は風のように時間が飛び去ってしまった。これから幾つか振り返り投稿をしようと思うのだけれど、この投稿では修士では珍しいのでは?と思われる修論のディフェンス(先生方曰く「スウェーデン式」)について書いておこうと思う。



「スウェーデン式」と言っても他の分野でも同様なのかは私にはわからないのだけれど、私が所属していた研究科では修士論文の審査は2段階で行われ、

①審査担当の教官(指導教官以外、指名不可で研究科によってアサインされる)による審査
②ディフェンスと呼ばれる討論会のような会、

の2つをパスする必要がある。
ディフェンス自体は次のような段取りで行われる:

――――

・著者による口頭補足(マイナー修正のみ)
・対抗論者(クラスメイトがアサインされる)による論文の概要と強み弱みの説明、約10分
・対抗論者による質疑(とそれに対する応答)、約20分
・審査担当教官による質疑(とそれに対する応答)、約20分
・参加者による質疑
・全体講評

――――


博論のディフェンスを模倣したスタイルで、ただ時間制限がもっとずっと長い博論に対しトータル約1時間なのと、対抗論者(discussant)は外部の先生ではなく、クラスメイトが務める。指導教官は参加しない。

基本クローズドの口頭試問とは異なり、研究科内の人間は参加可能なオープン形式で、論文の概要説明もあるので、修論自体の知識の研究科内への還元と、対抗論者を務める生徒への教育効果も狙っているんだろうなあ、と。実際私自身クラスメイトの対抗論者を務めたが、自分が必ずしも明るくないテーマの60pを超える論文をフロアにわかるように要約・プレゼンし、建設的に質疑を組み立てるというのは結構骨が折れた。同時にクラスメイトの立論や質疑から学ぶことも多かった。

ディフェンスする側として感じた特徴は、自分で内容をプレゼンせずあくまで論文として書いたものを元に全て行われるので、文章の過不足を改めて自覚した、ということだろうか。特に対抗論者は先生ではないので、前提知識があるわけではなく、脳内補足して呼んでくれるということがない。なので質問を受けて「あ、こういう所が言葉足らずで伝わっていないんだな」などと気付くこともあった。

審査担当教官による質疑は、対抗論者の質疑の質に左右される。対抗論者の質疑が的確な場合には、審査担当教官はそれまでの質疑を踏まえた上でより内容に踏み込んだ議論になることもあるし、あるいは研究手法のテクニカルな部分で詰められることもある。評価指標は生徒も含め共有されているので、クラスメイトのも含めて6つほど聴講した感想では先生からの質疑は共通するポイントも多かった(ただし審査担当の先生の専門性によってやはり特徴はある)。

全体講評で成績も伝えられる。
成績評価はFail / Pass / Pass with Distinctionの3グレードで、Failの人にはPassするために必ず必要な加筆修正ポイントが伝えられる。Passの人にも任意の修正事項が伝えられ、双方約3週間の修正期間が与えられる。その後審査担当教官の再審査(書面のみ)を経て最終確定。なお初回でDistinctionがつかなければ再提出ではつかない(当然と言えば当然)。

2日間にわたってディフェンスがあったのだが、蓋を開けてみれば予想以上にFailの人がおり、なかなか壮絶な雰囲気になった。審査に臨む前に指導教官が基本的にGoサインを出す必要がある(そもそも修論の提出期限は5月と8月の2回あり、5月で間に合わなければ8月にすることができる)ので、一応指導教官的にはPass水準に達していると思われるのだが、誰もが指導教官とのコミュニケーションが上手くいっていたわけではないのと、やはり評価指標は共有されてはいても、先生方によって多少生徒に求める水準の差というのもあるのだろう。Passした人も含めて、実に半数以上がそれなりのボリュームの修正指示を受けた。

1人のケースでは指導教官は褒めていた論文が論文の構造に関わる根本的な理由でFailとなったそうで、その子は指導教官に不満を伝えると共に、コースコーディネーターに異議申し立てをしたそう。

というわけで修論を提出したら終わりではなく、かなりプレッシャーのかかるディフェンスだった。ずいぶん昔に日本でも修士論文を書き、口頭試問を受けたが、それよりもずっとアカデミックな仕様だなあという印象。同じ修士でもきっと色々なスタイルがあるのだろうな。

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