博士課程への出願

博士課程への進学を希望しており、1月末に3つ応募期限のものがあるので、修論をとりあえず横に置いて、ひたすら研究計画書を書いている。1つは特定の先生の指導可否を仰ぐもので、もう2つは学科単位での一律応募。日本と違って学科試験はないのでとにかく研究計画書が勝負。

そんな時、X(旧Twitter)でとある著名な先生のポストが目に入ってきた。先生の専門分野に関係のない内容で留学を希望する学生から指導依頼が大量に入る、テーマが違うので指導できないと返したら、ではテーマを変更するので指定してくれ、と学生が言ったケースまである、とのこと。

先生を批判する気はない。専門分野が違うと指導を断るのは当然だろう。お忙しい中、そういうメールの数も多く、ご負担も多いのだろうとも思う。ただ、そのポストを起点にコンタクトしてきた学生の学問的不誠実さや失礼さを「学問を何だと思ってるんだ」とくさすような空気が形成され(私はそう感じた)、あげくに「単なるビザ目的では」みたいなコメントもつくのを見て、今修士課程で学び、博士課程を目指している人間として、ちょっと思うことを残しておきたくなった。

博士課程は自分で研究テーマ設定してマッチング先探して研究できる人しか採らないというのは、そういう構造なのでそれに文句言うつもりもない。私の通っている大学院のシステムもそうなっている。

ただ実際留学生として学生をしていると、その不均衡さに色々思うことはある。

2人、クラスメイトの話をしたい。

1人は今の大学院でPhD進学を希望している。今が2つ目の修士課程で、元々いた某国の修士課程(その国で上位層の大学)で学長賞を取るくらいの実力はある。自分の関心も研究したいテーマもある。ただ、関心が西欧的関心と若干ズレており、初留学でそこのアジャストが間に合ってない。

学問的関心を涵養してテーマに落とすまでには時間と訓練が必要だ。

私も正直出来ていなかった。この二年間で相当学んだ。とにかくその分野の論文を大量に読んでマッピングした上で、自分の関心をその学問の文脈の中に適切に位置付けないといけない。でも特に社会科学系の学問は学問のコンテクストだけでなく、社会のコンテクストに異存する部分もあるので、そのコンテクストを知らないと結構ハードルがある。私の関心も日本での問題意識から発生しているので、英語圏アカデミアの文脈に位置付けるのに結構苦労している。いわんや20代前半で、初めて海外暮らしをする子をや。でもそのハードルは、元々その文脈で研究を積み上げてきた先生方には極めてわかりづらいみたいだ。単に実力が低いと思われている。

実際このクラスメイトはこれまでの自由課題のアサインメントではピントがずれていて、評価がイマイチだったよう。グループワークで一緒に作業する中で何かブレークスルーが起きたらしく、私との作業で、自分の関心を学問的に位置付ける具体的な方法をようやく学んだ、と言っていた。元々すごく勤勉で文献もガリガリ読む子なので、次のアサインメントは見違える出来になっていた。本当はそこから更にブラッシュアップする時間が必要だけど、卒業までの時間は残念ながら平等で、時間が足りない。

その子は本国に戻れない事情もあり、スウェーデンに残りたい気持ちが強い。そして研究もしたい。そこでPhDへの進学を希望するにあたり、修論のテーマ選びの時から指導を希望する先生に話に行った。自分の感覚がズレていることは重々承知しており、テーマに自信がない+スウェーデンに残りたい必死さで、「PhDに行きたいんです!テーマは言われたこと何でもやります!」と言ったらしい。しかもPhDに有利なテーマをと言ったらしい。後から話を聞いた私は「あちゃー」となり、それは嫌がられるよ、と諭したけど時すでに遅し。本人は何が問題なのかよくわかっていなかった。当然その先生に修論を指導してもらえることにはならなかったし、おそらく進学も相当難しくしてしまったと思う。1度ついたイメージを覆すことは難しい。

でもこの子は基礎的な学問トレーニングはしてきているのでまだまし。なんというか、学部の教育レベルが安定していなかったんだろうな、という国の出身者の子は、大卒ではあるけれど、それが本当にネックになっている。高等教育を受ける第一世代で、回りに手本がおらず、また留学生仲間も、いわゆる主流層とはちょっと壁があるので情報も入ってこない。でも今研究がとても楽しそうだ。

そういうレベル感の人が博士課程を希望するのが時期尚早、という話もあるだろう。実際ツリーを見ていると、そういうハードルを突破してくる優秀な学生は沢山いる、そういう人にも失礼、というコメントもあった。

それはそうだろうと思う。

私もそういう上位層のことはあまり心配していない。ただ、私のクラスメイトたちのような、中堅層のことをつい考えてしまう。彼らは第一線でキャリアを積んでいく研究者にはなれないかもしれない。でも、博士課程を出て研究者にならなくたっていいじゃないか。1人はジャーナリストだし、もう1人は政治アクティビスト。本国にそういう環境がない中で、こういう人が博士課程で研究が出来るにはどうしたらよいんだろう。師弟制の指導システムは、そういうキャリア形成のニーズにはあまり合っていないなと思う。先生側に指導のメリットが薄すぎる。

テーマのマッチングというのも難しい。

別のクラスメイト。
某権威主義国家のリーダーのコミュニケーションを修論でやりたいと言っていた。でも指導を引き受けてくれる先生がおらず、ニッチ過ぎて学問的な意義&社会的関心も薄いと言われ(!)、結局テーマを変えた。本国では政治的な意味で研究できないテーマだし、残念だなと思う。学問的&社会的意義の評価のなんと西洋中心なことかと思った(私の学んでいる分野が特に、という話はある)。

この先研究したければ、世界中探せば研究してる先生もいるだろうけれど、誰もが自由に移動できるわけじゃない。ただ、テニュアを得られるまで場所を移ることが業界的に当たり前で、多くの先生方がそうしてきているので、そういうものだと思われている気がする。

***

そういう色んな構造的な不均衡の結果を、先生方個人個人に背負わせようとは思っていない。なので繰り返すが今回の件で先生個人を批判する気はない。しつこいようだけれど、専門外でも事情を勘案して受け容れて欲しいと言うつもりもない。

ただ、現時点でハードルに到達できず、失礼だったり明後日の方向の連絡が来たからといって、先生の学問的専門性を軽視しているとか、その人が知的に不誠実だと決まったわけではない(そういう人もいることは勿論否定しない)ということが知られてほしいなと思った。研究は続けたいけれど、生存戦略として自身の問題意識よりはまずは安定した研究環境を得ることを優先し、メールを送る学生の顔が浮かぶ。

ダメ元でも聞けば何か道が拓けるかもしれないから。

他にコネクションもないから。

だいぶ日が長くなったけれど、研究計画書を作っているとあっという間に真っ暗

余談。
先生の負担の改善はされてほしい。

私が出願している先の場合、基本的には外部生の場合先生への直接コンタクトは避けるように記載があり、事務方や連絡するように、となっている。私も何通も送ってるけど専門がちょっとずれてる場合おそらく転送すらされておらず、無視はザラ。とはいえ日本の体制では事務方預かりも難しいだろうことも想像がつく。何とかなればいいのだけれど。

私も他人事でなく、正直ベルリンに戻りたいのが優先なので、何とか近しい分野で先生のご専門に寄せようとしているところ。ただ研究計画書や参考文献を見れば一目瞭然、小手先のだまくらかしは通じないわけで、同じようなこと思われてるんだろうな、ということで今回の一連の流れは心が痛んだ。出願先の先生のご研究に関心がないわけでも、先生のご専門を軽視しているつもりもないのだけれど、そう見えるのか、というのはショックでもあり学びにもなった。

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