初年度最後の授業
今日が初年度(M1)最後の授業の日。
まだ最終課題とその発表のセミナーが6月上旬にあり、そのセミナーが本当の意味での最後の授業ではあるのだけども、とりあえずインプットの授業としてはラストなので、昨年8月末からの日々に思いを馳せてはしみじみしていたところだった。
が、朝になって連絡があり、
休講。
先生の体調が悪いとのこと。いや体調が悪ければ休んで頂いた方が良いのだが、いかんせんそんな性質の特別な授業だったので、ガクッ!である。代講があるのかがわからないので、なんとも尻切れトンボになってしまった。
とはいえ良い区切りなので一旦書いておきたい。
このところ北国も急速に春めいて、昼は芝生でゴロゴロしながら文献を読めるような気候になった。つい先日までダウンコートで、そのまた数週間前にはまだ雪が降っていて、その数週間前は15時には日が暮れていたのに。もう既に20時頃まで明るい。
6月上旬にセミナーが終わったら一旦ベルリンに戻る。再びここに戻ってくるのは8月下旬。その頃にはもう長袖だ。まだダウンではないけれど、羽織りものは必須、もうサンダルはちょっと難しい、そんな気候。夏は短い、とても短い。そして2年目が始まる。
あっという間だったな。
進学した際はどうなることやら全く想像がつかなかったけれど、総じて良いM1だったと思う。授業はどのモジュールもとても知的刺激に満ちていて、無駄に感じるモジュールは私にはなかった。仕事してきた分野と専攻が重なっていることもあって、まったく新しい知識こそ少なかったものの、仕事や実体験を通じて色々と散らばっていた知識や感覚を一旦取り出して、基礎文献や英語圏の学問の系譜に沿って整理し直し、丁寧にインデックスをつけ直したような感覚。なのでいわゆるAHAモーメントは結構あった。「こういう風に説明できるのか!」「彼らはこういう風に理解するのか!」と。インプットした文献は約9ヶ月で約300本/冊。多いのか少ないのかはよくわからない。もっと読めるとは思うけれど、基本的に骨子を写経しながら自分に浸透させて読んだので、自分としては使いこなせるまで読むにはこの分量が適量だったかなと思う。まだまだ知らないこと・わからないことは山ほどあるし、社会も動いているので常に課題は生じているけれども、同時に学問という物差しの一端を手に入れたことで、自分が何がわかっていて何がわかっていないのか、そういう分野をどういう人たちが研究しているのか、現在地が測りやすくなったし、背景情報が増えたことで他の方々の論理展開の解像度があがった。
総じて学習の自由度が高かったこともあって、この点をもう少し学びたい、という場面もあった。ただ先生方は親切で、質問をしたり相談をすると喜んで手を差し伸べてくれた。おかげで普通に授業に出席する以上のリターンを得ていたと思う。それから、先生方が質問に対して「いい質問。こういう先行研究はあってここまでは実証されているが、△△については自分もわからない、自分は□□を中心に見ている」「〇〇はどこそこがプロジェクトをやっているので彼らが詳しい」「ファンディング獲得のプレゼンが急に入ったので来週は休講」と普通にシェアするのを聞くと、「そうか、先生方はこういう疑問を大事にストックしておき、ファンディングや自分の研究領域・立ち位置との兼ね合いも見ながら戦略的に次の研究に繋げていくんだな」となんとなく先生方の研究者としての生活を覗けたような気がして興味深かった。
そして20代前半のクラスメイト達から学ぶことも多かった。私とは違う世代・バックグラウンドなので、社会の見方も当然全然違う。コミュニケーションという領域に関わる上で、自分と違う部分の多い人々に囲まれるというのはそれだけで1つの大きなメリット。
課題ではアウトプットに対してフィードバックがあるのもありがたかった。この年になると仕事では自分がフィードバックする側、あるいはアウトプットを問答無用で評価される側なので、セーフスペースで何も心配せずに(成績ぐらい?)自分の良い点・改善すべき点をコメントしてもらえる機会はなかなかない。
と、いうわけで、とにかく勉強できるというのはなんて贅沢なことなんだろう、それに尽きるM1だった。そもそもドイツで就活に苦戦しなければ再び院進するという選択肢は考えなかったけれど、結果としては単に欧州圏でのqualificationもあるよ!という客観的な肩書を得る以上に学んで良かったなと思う。現場で働くことでしか得られない知識や経験もあるけれど、長期的には、それを整理し相対化するための物差しを体系的にインプットできていることのメリットは計り知れない。
M2は調査手法論を2モジュールさらった後はもう修論なので、その後の進路を含めてそろそろ戦略的に動き出さないといけない。いつまでもインプットだけしているわけにもいかないので、休憩時間の終わりを知らせるベルが鳴ったような、今はそんな気分でいる。
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