英語の表現力

今日はノンネイティブなら誰でも直面するであろう愚痴。


エッセイを書いていると自分の英語能力にガッカリする。主に表現力。過不足なく抽象的な内容を表現し、その内容に異なる文化的バックグラウンドの人が読んでも充分に伝わるだけの説得力を持たせ、かつ洗練された文章が書きたい。現状は遠く及ばない。
ビジネス英語のほうが圧倒的に楽だったなあ…。

日本にベースを置くなら基本日本語で、必要な場合に英語に直すという方式で良いけれど(機械翻訳の手助けを借りれば簡単にブラッシュアップできる)、今後も英語が軸言語で英語圏が軸オーディエンスになることを考えると、今はしんどくても英語で思考しアウトプットするクセを付けるべきだとわかっているので頑張っている…のだけど、語学能力の限界によって自分の思考回路まで上限キャップを勝手に設けられた感覚。語学が邪魔して自由に思考できない。モヤがかかったような感覚。かと言って日本語に切り替えると英語で伝わるように構成から戻す作業がいるし、いつまで経っても現在地が変わらん。

インプットにしても、定着度が段違い。
速読しつつ頭の中に構造化して著者の主張を整理する、というのが日本語より圧倒的に劣っていて、速読だけではさら〜っと読んで納得して終わってしまう。速読で何本か読むと上書き保存状態で、最初に読んだものはボンヤリとしか覚えていない。日本語だとしっかり別名保存されるのは、ざっと読みながらでも核となるキーワードを拾って著者の主張を構造化し、キーワードから頭の中に既存の知識と関連付けてインデックス整理したり相対化して保存する、という作業をある程度自動で行っているのだと思う。現状英語では記憶を整理する取っ掛かりやコンテクスト不足なので、きちんと理解して構造化するには手を動かしてメモを取りつつアクティブに読まないといけず、ものすこく時間がかかる。これまで英語の本も何冊も読んでいるけれど、日本語に翻訳して整理しているので、知識が別物になってしまっていて英単語を見たときにパッと同じものとして判断されない。これについては蓄積が物を言うので英語でのインプットを増やすと同時に、日本語に訳してしまった知識を英語と再び関連付けるしかないとは思うものの、先が長い…。

仕方ないけれど、日本語で研究したいなあ。これが日本語だったら…とぐるぐる考えてしまう現状からどうしたら脱却できるかここのところ考え中。いっそ開き直って日本語でも書いて、日本語オーディエンス向けと英語オーディエンス向けと、アウトプットを二輪で整理していくのが良いのだろうか。

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