中国のデモとメディア報道

ここ数日、中国でのデモが大きなうねりになっている。

この件に関する報道を見ると、「習近平政権の厳しいゼロコロナ政策に対する市民の不満が爆発し、政権への反発を強めている」というトーンが多い。特に11月24日(木)にウルムチ市で発生した火災に厳しいロックダウンの影響で消防士の救援が間に合わず、人命が失われたことで抗議が広がったと分析する海外メディアが多いようで、海外メディアによる報道のナラティブは概ね固まっている様子(ざっとチェックしたのは日英独のみですが)。
代表的な記事をいくつか:

日経新聞「中国のゼロコロナ抗議、上海や北京でも 経済低迷に不満」

CNN "Protests erupt across China in unprecedented challenge to Xi Jinping’s zero-Covid policy"

DW "Protests spread across China amid zero-COVID anger"


先週木曜日の段階で、中国人クラスメイトはちょっと違う見解を持っていた。

彼女曰く、ゼロコロナ政策を転換し、PCR検査をやめ、人数のカウントもやらないと表明した政府に対して、これまで徹底した情報統制によってコロナの恐怖が浸透している市民の間に「政府は国民の命より経済(企業)を優先するのか」という動揺が広がり、政府に対する抗議が大きくなっている、と。PCR検査の復活やロックダウンを求める声も大きい、とのことだった。

この事例はちょうど木曜日の授業がPublic Information Campaignについての授業で、政府による広報がプロパガンダでなく正当と言えるにはPublic GoodやPublic interestが必要、という先行研究の議論の中で挙げられた。

コロナ禍では政府によるコミュニケーションが大きな意味を持っていたが、中国の場合政府による情報統制が厳しいため、政府が発信する情報以外に科学的な情報へアクセスする手段が極めて限られ、結果としてこれまでゼロコロナ政策を支えてきた情報を頭から信じて疑っていない市民も多いのだ、と。つまり習近平政権のコロナに関する広報は公衆衛生のための広報ではなく、プロパガンダの側面なくして理解できないという話であった。

デモに関するナラティブについては、現地語のわからない私には真偽の確認のしようはないが(それこそ情報統制の結果のナラティブの操作である可能性もあるし)、実際一部PCR検査を求めるような抗議活動をシェアするツイートも見られたので、おそらく実態として両方あるのだろうと思う。実際現在の中国の情報環境下で普通の市民が海外ジャーナリストと同じような見解を持つと考えたり、反政権の声を民主化への期待と受け止めるのも、極めて西欧的価値観というか、ナイーブすぎる見解であるようにも思う。

メディアがどのようにニュースを報道するかによって、ナラティブは大きく影響される(これを「フレーミング効果」という)。特に現地情勢に明るくなく、言葉もわからない部外者にとってはなおさらだ。私も中国人のクラスメイトによる木曜日のコメントが無ければ、現在の報道をそのまま受け止めただろう。今回のケースの場合、反ゼロコロナにしても、反ゼロコロナ転換にしても、立場は真逆でも政権への反発という意味では共通しているので、運動としては最終的な一体性があるが、実態としてはもう少し混沌としている可能性があることを頭の隅に置いておく必要があることを改めて実感した。

もっとも、フレーミング効果は実態にも反射するので、自由を求める声に注目した報道が大勢を占めるようになれば(既に日本語や英語では殆どそうなっている)、その声は増幅されてより仮想空間と現実空間を占めるようになる可能性もある。英語空間ではないWeChatやWeibo上での大勢がどうなっていくか、政権がどう対応するかによって、今後の展開が大きく異なってくる。


※11/29、誤字脱字を修正しました。

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